イギリスでの財政緩和策が発表された際、市場が大きく混乱したのを覚えているだろうか。
2022年9月、リズ・トラス(Liz Truss)がイギリスの首相に就任し、財務大臣クワシ・クワーテング(Kwasi Kwarteng)と共に大規模な減税策を発表した。この政策は財政赤字の拡大懸念を招き、ポンドが急落し、英国債利回りが急騰、市場は混乱した。その結果、イングランド銀行が市場介入を余儀なくされ、トラス政権は大きな批判を受けた。
この混乱の影響で、トラスはわずか44日間で首相を辞任し、イギリス史上最も短命の首相となった。その後、リシ・スナク(Rishi Sunak)が首相に就任し、市場の安定を目指す政策を進めた。
リズ・トラスが発表した減税策
トラス政権が発表した主な減税策の内容は以下の通り。
1. 所得税の基本税率引き下げ
- 20%から19%に引き下げ(2023年4月から実施予定)。
- 低・中所得者向けの減税策として打ち出された。
2. 最高税率(45%)の撤廃
- 15万ポンド(約2,400万円)以上の高所得者に適用されていた所得税の45%税率を撤廃し、40%に統一。
- 市場の反発を受け、後に撤回された。
3. 法人税の増税撤回
- 2023年4月に予定されていた法人税率の19%から25%への引き上げを撤回。
- 企業の競争力向上を目的としたが、財政赤字の拡大懸念が指摘された。
4. 住宅購入時の印紙税(Stamp Duty)軽減
- 住宅購入時の印紙税の課税最低額を12万5,000ポンドから25万ポンドに引き上げ。
5. 国民保険料(社会保険料)引き下げ
- 1.25%ポイント引き下げ。
- 企業と労働者の負担を軽減。
6. ボーナス上限の撤廃
- 銀行員のボーナスに対する上限規制を撤廃。
- ロンドンの金融市場の競争力向上を狙った政策。
7. エネルギー価格補助
- 家庭向けのエネルギー料金上限を2年間固定。
- 企業向けの補助も実施。
市場の反応とその後の展開
この減税策は財源が明確に示されないまま大規模に発表されたため、市場では「財政赤字の拡大による英国債の増発懸念」が高まった。その結果、以下のような影響が生じた。
ポンドの急落
減税策発表前、ポンドは1ポンド=1.12ドル前後で取引されていた。しかし、発表直後に急落し、9月26日には1ポンド=1.0350ドルと、8%安くなった。また、1972年の変動相場制移行後の最安値を記録した。
英国債の利回り急騰
英国債の利回りも急上昇した。
- 10年物国債利回りは、減税策発表前の約3.5%から、一時4.5%を超える水準に急騰。
- 30年物国債利回りも上昇し、5%台に達し、2002年以来の高水準となった。
これらの動きは、財源の裏付けが不明確な減税策への市場の不信感を反映し、通貨安と債券利回りの上昇(価格の下落)を引き起こした。
そのため、イングランド銀行が緊急介入し、国債を買い支えた。また、国内外からの批判が殺到し、投資家からの信頼を失う結果となった。
この混乱を受け、トラス政権は最も批判が強かった「所得税45%撤廃案」を撤回したが、市場の混乱は収まらず、財務大臣クワーテングは更迭。その後、トラス首相自身も辞任に追い込まれた。
減税規模
上記のような混乱を引き起こした減税規模はどのくらいだろうか?
2022年9月23日に発表された「ミニ予算(Mini-Budget)」の減税策の規模は、以下の通りであり、合計で約450億ポンド(約7.2兆円)と見積もられていた。
減税項目 | 年間の見積もりコスト(ポンド) |
---|---|
最高税率(45%)の撤廃 | 20億ポンド |
法人税増税(19%→25%)の撤回 | 180億ポンド |
印紙税(住宅購入税)の軽減 | 10億ポンド |
国民保険料(社会保険料)の引き下げ | 15億ポンド |
所得税の基本税率引き下げ(20%→19%) | 50億ポンド |
その他の減税措置 | 約10億ポンド |
合計 | 約450億ポンド(7.2兆円) |
加えて、トラス政権はエネルギー価格補助策も打ち出しており、その支援策のコストはさらに1,500億ポンド(約24兆円)に上ると見積もられていた。
この政策の失敗を受けて、後任のリシ・スナク首相は財政健全化路線に戻し、市場の安定を取り戻した。
イギリスの財政状況
簡単にイギリスの財政状況も見ておきたい。
一般歳入(政府の総収入)
- 2022-2023会計年度の一般歳入は約1兆1,000億ポンド(約180兆円)。
歳入源 | 割合 |
---|---|
所得税 | 約25% |
付加価値税(VAT) | 約20% |
法人税 | 約10% |
国民保険料(National Insurance Contributions) | 約20% |
その他の税収(燃料税、酒税、たばこ税、相続税、印紙税など) | 約25% |
歳出
- 2024年10月に発表された予算では、総歳出は約1兆2,760億ポンド。
歳出項目 | 割合 |
---|---|
社会保障費 | 約30% |
医療費(NHS) | 約20% |
教育費 | 約10% |
防衛費 | 約5% |
公共秩序・安全 | 約5% |
その他(住宅、環境保護、交通インフラ、国際援助など) | 約30% |
国債発行計画
- 2024/25年度の国債発行予定額は2,650億ポンド(約3380億ドル)。
- 2023/24年度の発行額は2,320億ポンド。
- 2028/29年度までに公的債務は2兆4,000億ポンドから3兆ポンドに増加見込み。
- 2024/25年度の超長期債発行額は490億ポンド(全体の18.5%)。
上記の数字は、日本よりも規模が小さいだろう。日本は一般会計と特別会計に別れているため、合算したら令和4年度(2022年度)の決算で歳入が305兆2,661億円、歳出が269兆8,103億円となる(重複分は除く)
日本に対する示唆
日本でも、減税が叫ばれているが、同様なケースが起こることも念頭に置かなくては行けない。マーケットで支えられている投資は、マーケット参加者からの失望により大きく価格が下落して、マーケットが大きく混乱する可能性があるのだ。
当然のことから、歳入を減らすのであれば、きちんと歳出を減らす計画をたてなくてはいけない。もしも、ただ単に借金を重ねるだけの歳出計画を出したり、減税計画を実行しようとすれば、マーケットからの信頼を失うことになるのだ。
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