まずは自分の例を示して話を始めたい。
私は、幼稚園から高校まで公立校に通い、浪人することなく国立大学に進学した。小学校から高校までの学費や塾の費用を整理すると、以下のようになる。
自分にかかった学習コスト
- 幼稚園(3年間):15万円
- 小学校(6年間):60万円
- 中学校(3年間):45万円
- 高校(3年間):27万円
- 大学(4年間):145万円
- 塾費用:75万円(公文式33万円+学習塾42万円)
塾は小学校のときに4年間ほど公文式に通っていた。また、中学校のときには近くの学習塾に3年間通っていた。しかし、その程度だ。
合計は約367万円。これが17年間、私にかかった純粋な教育コストといえる。
特に贅沢な教育を受けたわけではなく、努力と環境が重なり、国立大学に進学できた。同世代の中でも500人に1人程度のトップ層に属していたと考える。偏差値に直すと約78.8となる。
しかし、周囲を見渡すと、私以上の教育費をかけながら、偏差値60程度に留まるケースも少なくない。このギャップがなぜ生じるのか、ずっと疑問だった。
なぜ教育費がかかるのか
教育費が高くなる要因の一つは、学校の運営コストだ。東京都が開示しているデータを見ると、以下のように生徒一人あたりの教育費を都が負担している事がわかる。
- 幼稚園:166万円
- 小学校:109万円
- 中学校:134万円
- 高校:130万円
この金額には、校舎や校庭の維持、教員やスタッフの人件費が含まれており、高校を例にすると130万円のうち約90万円が人件費に当たる。
1クラス40人として計算すると、年間で一クラス3600万円が人件費として消える。これは担任、副担任、専門科目の教員、さらに校長や事務職員を含めた金額と考えれば、それほど間違った計算とは考えにくい。
教員の存在と効率化の可能性
教育において教員は重要な存在ではあるが、本当にそれほどの人数が学校には必要なのだろうか?
自分の学生時代を考えてみても、担任の先生の存在は必要であったが、どちらかというと同級生とか学校という場が最も大事だった気がする。先生は、これほどの人件費を掛ける必要があるかは、再度検証が必要だと思う。
現在では、AIやオンライン教育が進化しており、— 例えばスタディサプリのようなオンライン講義が広く普及している—、授業の進行やペースの管理はAIや映像授業で代替可能ではないか。
また、優秀な生徒ほど自分で学べるため、教育費を抑えられる。一方、勉強が苦手な生徒には多くのサポートが必要で、その分費用もかさむ。これが教育費の高騰の一因だと考えられる。
教育費と成果のギャップについて考える
多くの人は、私のように強いやる気を持って勉強するわけではないし、大学進学にも特別なこだわりを持たないだろう。それでも、私の教育費の数倍以上をかけているにもかかわらず、偏差値60程度に留まるケースが多い。このギャップはなぜ生じるのだろうか。周りの人を見ていて、ずっと不思議に思ってきた。
一つの答えとして考えられるのは、「真面目にやる気を出していない」ということだ。多くの人は、勉強をしなくても生きていけると思っているし、大学に進学しなくても無事に人生を過ごせると信じているのだろう。
学歴の価値と時代の変化
確かに、現代では学歴の必要性が低下しているようにも思える。勉強の効率的な方法や必勝法が開発され、それに従えば一定の成果を出すことができる。その結果、ただ高学歴のコピーが大量に生産されるだけで、個々の学歴の価値が薄まるという現象も起きている。
さらに、時代の変化に伴い、学校で教わる内容が古くなりつつある。結果として、難関大学を卒業していても、学校で教わったことが実社会で役に立たない知識だったというケースが多く存在する場合もある。こうした背景から、学歴そのものの価値は、以前よりも低下しつつあると言える。
未来の教育の価値
しかし、時代が進むにつれて、大学教育そのものも少しずつ変化していくだろう。きちんとした勉強環境を提供する大学や、賢い人材が集まる仕組みを持つ大学は、これからますます価値を高めていくはずだ。そのような大学は、単に知識を教えるだけでなく、知的好奇心や創造性を育む場としての重要性を増していくだろう。
海外では、GoogleやMicrosoftのような企業が、大学の代わりに知的な人材を集めて育成する場を提供しつつある。それでも、大学は依然として、多くの優秀な人材を集め、良い循環を作り出す場として機能している。
教育の価値と未来
勉強が好きで進学したい人が学校に行き、勉強が嫌いな人は職業訓練や別の道を進むべきではないだろうか。高校は義務教育ではなく、学びたい意欲のある人が通う場所だ。学校での学びを支える仕組みを維持しつつも、AIやオンライン教育を活用することで、さらなる効率化と負担軽減が可能だと感じる。
学校教育の意義は大きいが、時代の変化に合わせて仕組みも見直されるべきだ。教育費がかかる理由を考え、より効果的な教育のあり方を模索していくことが求められている。
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